円満な相続のための生前会議のすすめ

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生前会議なんて聞いたことがない言葉だと思いますが、先日購入した本のタイトルに「生前会議」というのが使われていました。

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亡くなってから親族で会議を開く…なんて金田一耕助の世界かもしれませんが、規模の大小はありますが実際にはよくある光景ではないでしょうか?

亡くなってから開く会議、特に配偶者がすでになくて子供たちだけの会議なんて、まとまる方が難しいように思います。

誰だってお金はほしいし、それぞれの生活もあります。

スーパーのレジ打ちのパートで時給1000円の仕事。
一日立ち仕事で、大変ですよね。

1000万円単位の遺産が転がり込んでくれば、そんな仕事しばらくやらなくても家計のやりくりができそうです。

兄弟姉妹だけならまだしも、それに愛人の子供とか、前妻の子供とかでてきたら目も当てられません。

そんなことにならないように、元気なうちに自分の遺産をどうしてほしいのかを決める会議を開くということです。

現金なうちに会議を開くと、さすがに10年、20年が過ぎると財産の内容も変わってくるかもしれません。

しかし、方向性だけでも全員が納得すればいいのではないでしょうか?
もちろん、時間の経過とともに再度話し合うことが望ましいでしょう。

遺言…というと亡くなった人が自分の意志だけで書くように思われていますが、実際には自分の思惑のみで書いていくとトラブルの原因になりかねません。

遺留分というものがあって、遺留分については遺言があっても取り返す権利があるのです。
遺留分を侵害しないように書いたとしても、その内容が不公平だと家族の中にしこりを残すことになりかねません。

そうならないように財産をすべてオープンにして、なぜこのような分け方にしたのか、何を考慮して何を考慮しなかったのか、死んだ後に何が不安なのか…などを家族で共有することが大切ということです。

確かに遺言は単独での法律行為です。
誰かに強制されたりして作成されると効力すら疑問視されかねません。
家族の絆を守るための遺言のはずが絆を壊す原因にもなります。

金額的なものだけでは公平ではないというのが遺産相続の現場です。
財産が預金だけなら金額的には公平に分けることも可能ですが、不動産が含まれると公平にわけることは不可能です。不動産は流動性も低く、もらう人の価値観によっても評価が異なるからです。

さらに、介護したか、同居したか、学費の負担などなど、生前のかかわりによっても各自が「もらうべき」と考えている額や割合が異なってきます。

公平に分けられないからこそ、納得してわける必要があるのですが、それは遺す人の意志や言葉があることが鍵になってきます。

問題を死後に先送りしたい…、なんとかなるだろう…、ではなく、「生前会議」というのは本当に必要だと思いました。